全世界で新型コロナウイルス(COVID-19)が流行しています。詳しい情報は厚生労働省が出しているQ&Aサイトを見ていただくとして、感染経路が人から人への飛沫感染や接触感染であるがゆえに、世界中で人や物の移動が規制され、各地でイベントなどが中止・延期に追い込まれています。中でもF1モナコグランプリの中止は、大きな衝撃を受けたモータースポーツファンも多かったのではないでしょうか。レーシングカートで言えば、CIK-FIA管轄のヨーロッパ選手権や、WSKシリーズも開催延期を発表しています。
国内のレーシングカートレースはほぼ中止されていない
さて、国内モータースポーツも数万人規模の来場者数を誇るイベントは軒並み中止・延期されていますが、筆者の知る限りほぼすべてのレーシングカートレースは中止されず、多少の感染対策こそあれ、通常通りのスケジュールで動いているところがほとんどです。全国各地ではいわゆる「参加型スポーツ」のイベントですら中止や延期という処置がとられているようですが、他のスポーツとレーシングカートはいったい何が違うのでしょうか?少し考えてみたのですが、感染症対策という観点において以下のようなメリットがカートレースにはあると思います。
- 屋外型イベントである
- 走行中はドライバー同士の直接接触が無い
- 会場が比較的広く、人が接触しないようある程度の間隔が取れる
- 来場者数がそこまで多くない
例えば柔道のようなつかみ合いはレース中にはあり得ないので、直接接触は無いですよね。体育館にすし詰め状態で待機させられることもありません。場内に風を起こせない卓球やバドミントンとは違い、屋内であれば換気は十二分に行わねばなりません。すなわちクラスターの発生条件と言われる「密閉空間」「密集空間」「密接場面」の3つが存在しません。素晴らしきかなレーシングカート。例え世界中に疫病が蔓延したとしても、このスポーツは常に楽しめるのです!
…そんなわけないですよね。
レースが開催できることが寂しい
勘違いされないように明記しておきたいのですが、筆者は本状況下におけるカートレースの開催に否定的な立ち位置を取っているわけではありません。なんでも自粛すべきだとは思いませんし、小規模かつ感染症対策が取りやすいのであれば行ってもよいと思います。特に日本は今のところ、武漢や欧州の一部の国のような悲劇的な状況にはなく、外出禁止令も出ていません(※3月25日に関東で自粛要請が出されました)。
もちろんレースの主催者だってビジネスなわけですから、レースを開催しないことによる負債や利益の減少を避けたいと考えるのは当然のことです。だからこそ出来る限りの消毒やマスク着用の呼びかけ、放送によるドライバーズブリーフィングの実施等の感染症対策を行ってでもレースを実施するでしょう。これに付随して、レースがあることによって利益が生まれるショップやメーカー、輸入代理店も存在します。全体の構造を考えれば、レース開催に舵を切るのも理解できます。聞いた話によると、とあるレース主催者がイタリアで生活必需品以外の全生産が止まったことを受け、輸入代理店に供給状況の調査を行ったそうです。参加者の感染リスクよりも部品供給によって開催の有無を判断するというのは、実にモータースポーツらしいエピソードですね。
ただ、レースが開催できてしまう最大の原因は、レーシングカート業界の社会的責任の軽さにあると思うのです。いまさら嘆くことでもありませんが、所詮は【この状況下であっても多少の感染症対策をすれば開催できてしまう程度】の人の集まりでしかない、ということを改めて思い知らされました。FP-Jrが不成立になる現状ではさもありなんと思います。「自粛すべき大規模イベントってどこからなの?」という話題はよく耳にしますが、JAF選手権ですら明らかにこれには当たらないと判断できる程度なんだな、と思うと、寂しさを感じずにはいられません。
感染拡大のリスクをゼロにはできない
仮にサーキット内は感染対策ができたとしても、問題はそこだけではないはずです。参加者は広範囲から集まるため、サーキット周辺のホテルや飲食店を利用します。この時点で不特定多数の人が密閉空間で接触するリスクを排除するのは困難でしょう。サーキット外での感染はサーキットの責任ではないですし、当然飲食店等も対策をしているでしょうが、レースがあることによってクラスターが発生する可能性はゼロにはできません。
カートレース中にクラスターの発生条件が無いとは言いましたが、ヘルメットを脱ぎ3×3mのテントの中で走りについて語り合うのは密接場面で無い、と言い切れる自信は筆者にはありません。感染したとしても基本的には軽症で済むとは言え、高齢者や持病のある人は重症化しやすく、WHOによると推定死亡率は3.4%(3月3日時点)とのことです。
現時点で日本は諸外国に比べると悲劇的な状況にはありません。ただ今は、私たちがカタストロフィへのきっかけにならないことを切に祈るばかりです。
文:藤松楽久